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本家サイト「Queen of the Night」の更新情報や日々の戯言・ゲームプレイ記などを連ねる闇鍋的な場所です。
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2024/11/24 (Sun)

 午後2時46分、仕事中のこと。
 体感できるほどの強い地震が起きる。
 ここのところ震度2・3程度の地震は頻繁に起こっていたので、正直、職場の皆もすぐに収まるだろうと思っていたに違いない。
 けれど、それはやけに長く、強い揺れだった。
 判断が早かったのは常務取締役。
 殆ど怒声となった彼の一喝と、会社の災害用のベルが鳴ったのはほぼ同時のことだ。動揺から覚醒した職員達は、一斉に外へと飛び出す。
 直後、立っていることも困難な強い揺れが襲ってきた。
 わたしを含め会社の目の前にある林へと避難した職員達は、手近な人や木につかまってやり過ごす。
 視界の全てが揺れていた。
 今にも倒れそうなほどに揺らぐ停車中のトラックや会社の建物には近付くことも出来ず、普段はひっそりとした小さく静かな池も、人の背丈ほどの波を作って襲ってくる。
 植木のプランターも悉く倒れ、後から逃げてくる職員の中には、落下物で頭を負傷している者も居た。
 揺れが収まっても、驚愕、恐怖、動揺に感情を塗りつぶされた職員達は、当然のことながらすぐに動き出すことなど出来はしない。

 ようやく動き出せる程度には感情が回復して、ああ、災害が起きたんだと。
 ぼんやりと理解した。

 職員達も思考が回復してきて、役職の者達は情報収集と職場内の状況把握に動き出した。
 わたしは事務所内への勤務なので、他の事務所職員達と一緒に事務所の様子を見に社内へ戻る。
 酷い状況だった。
 書類棚やパーテーション、机、パソコン、プリンターなど、あらゆるものが倒れ散乱している。
 電話はエラーのランプが表示され、一部の回線以外は繋がらない状態だった。
 途中、再び強い揺れがあり外へと避難する。流石に最初のように動揺して動けないという状況にはならなかった。
 揺れが落ちつき事務所内へ再び戻る。
 ……今度は停電していた。当然、電話も繋がらない。水も出ないという。どうしようもない状況とはこのことか。
 そうなってくると、気になり始めるのは親類や友人の安否だ。
 その場に居たほとんどの職員が携帯電話を触り始めるが、何度試しても通話が出来ない状態。不安ばかりが募るが、メールが何件か来ていることに気が付いた。
 友人が数名と、家族から。
 とりあえず家族は全員無事のようだったので安心する。
 全員に返信している余裕は無かったので、家族からの安否確認メールにだけ返信した。
 しばらくすると、家の概況の写真付きで返信がくる。
 携帯での撮影なので細かいところまでは判らなかったが……何とも凄惨な状態としか言いようがなかった。古い家屋なので心配はしていたが、写真だけでも屋根の瓦がだいぶはがれ落ちて地面へ散乱し、窓は枠ごと外れ落ちているのが判る。外見は何とか家の形を保ってはいるようだが……
 そうこうしているうちに、情報収集へ出かけた者達が帰ってきた。
 提携業者もどこも似たような酷い状況で、中には建物が倒壊したところもあるらしい。
 社内や周辺の情報も少しずつ集まってきていた。
 基本的に受注産業の会社だが、製造の為の機械は嫌な音を立て、設置位置もずれて稼働できる状態では無さそう。倉庫の方も出荷待ちだった商品が崩れ、とてもではないがまともに出荷出来ないとこのこと。
 周辺は、道路は何か所も亀裂が入って通行できない場所もあり、電柱もまっすぐには立っていない。また、塀や屋根が崩れるばかりか、建物自体が倒壊している場所も幾つもあるようだった。
 親族などと連絡が取れた職員の中には、自宅が崩れたという者も居る。
 正直、会社がどうこうというより自宅の様子の方が気になった。
 どうせ、会社に残っても回線が復旧しない限りは出来ることなど限られているのだから……
 わたしと同じ気持ちの職員が殆どだったようで、会社の復旧を優先しようとしていた上役の者達も折れ、職員達は可能な者は翌日朝8時出勤とだけとりあえず決めて、帰宅出来ることになった。

 裏道の方は通れない場所もあるということなので、帰宅には大きな国道を使うことにする。
 国道とはいえ酷い状態だった。
 渋滞もさることながら、あちらこちらで地割れを起こしている。地面が盛り上がり片側通行しか出来なかったり、逆に側面がガードレールごと完全に陥没していたり……
 苛ついているのだろう、危険な運転をする者も居た。こんな時だからこそ、落ちつかなければならないだろうに。
 たった5km程度の距離を、車で1時間ほどかけて帰った。
 いつも通っている道は陥没していて通れないとの情報を家族からメールで貰っていたので、裏側の道を通る。裏側の道も芳しくない状態だったが通行出来ないというほどでは無かった。
 それにしてもどこの家も酷い……

 ようやく家へ着く。
 ひとまず母屋から作業小屋の方へ避難しているという家族のところへ顔を出した。
 小さな小屋の中に、母、祖母、妹の顔があってほっとする。怪我なども無いようだった。父は消防に所属しているので、見回りに駆り出されているという。
 猫の姿もあり、安心したところで家の状態を確認することにした。
 写真で見て覚悟はしていたが……酷いとしか言いようが無い。改めて間近で見て、溜息しか出てこなかった。
 築何十年も経つ古い瓦屋根の家屋だが、瓦は大分はがれ落ちて地面に瓦礫を築き、写真通り窓も枠ごと外れガラスが散乱し、外壁にも幾らか罅が入っているのが判る。
 靴を履いたまま中へ入るが、中の方が酷い有様だった。
 もはや足の踏み場も無いとは、まさにこのこと。
 家全体の棚類が倒れ中の物が散乱しているのは勿論のこと、キッチンでは冷蔵庫の中身なども殆ど飛び出し、食器棚の中身も閑散としていて、収められていた食器だったものの残骸が床を埋め尽くしている。
 屋内のガラス戸のガラスも殆ど割れて一帯に散らばり、仏壇や神棚も倒れていた。
 屋内中、各所に罅も入っている。よくもまあ倒壊しなかったものだ。
 恐る恐る、自分の部屋へも近付いてみる。
 外れた戸や割れたガラスに阻まれて中へ入ることは出来なかったが、思わず現実逃避のため今晩の夕飯のメニューを考えてしまうくらいには酷い状態だ。

 時間はもはや夕刻。
 片付けに手を付けられる状況でも無いので、暗くなる前に、周辺の様子を見るついでに一番近くのコンビニで何か購入できないか歩いて行ってみることにする。
 いつも通っている道路……陥没しているとは聞いたが、本当に酷い状態だった。
 物語に出てくる廃墟の一角に溶け込みそうな風景に変わり果てている。
 自治体あたりが来たのだろうか、進入禁止のテープが張られていた。
 しかし、そこを通らないとコンビニへは行けないためテープを乗り越えて割れ沈んだ道路を進み、コンビニへ辿り着く。が、中の片付けに追われ開店はしていない様子だった。
 冷蔵庫の中身が駄目になっていたので何か買えないかと思ったが、仕方が無い。

 同じ道を通って家へ帰る。
 すると、前日に仕込んでおいた餃子の種を、妹が包んでくれていた。ラップをして冷蔵庫へしまっておいたため、ひっくり返っても無事だったらしい。
 普段は炊事の手伝いなどあまりしてくれない妹だが、この非常事態に、自分の出来ることをやろうとしてくれている。そんな気がした。
 母屋のキッチンは足を踏み入れられるような状態では無かったので、狭い小屋の中、キッチンから掘り起こしたカセットコンロで調理をする。
 断水状態だったが、幸いなことに我が家には井戸水があるため何とかなった。
 炊飯器も無事だったため白いご飯付き。何とも贅沢なメニューに思える。

 食事をしながらテレビでニュースを見た。
 福島県中通り中部、わたしが遭遇した地震は震度6強とのこと。
 マグニチュードは8.8と発表された。それがどれだけ巨大なエネルギーだったのか、想像もつきもしない。
 そうした基本的な情報を得ると共に、徐々に今回の地震の被害の甚大さを知った。
 東日本全体が呑まれたのか……
 土砂災害や陥没による行方不明などで挙がる近くの地名。津波に襲われたという海岸沿い。広がる火災。原発への不安。冗談のように増えてゆく死者や行方不明者の人数。
 家族が無事で、避難できる場所があるだけわたしはまだましだと思った。
 これからどうなるのだろうという不安があるが、この程度で音を上げていられない。

 夕食後、改めて自分の部屋だった場所に来た。
 部屋への道を塞いでいた割れたガラス戸などを慎重に動かして、下足のまま、足を踏み入れる。
 大きな棚が、わたしがいつも寝ている場所めがけて倒れていた。
 地震が起きたのが深夜でなくて幸いだったと思う。寝ている時に起こっていたとしたら、確実に命が無かっただろう。
 わたしの命を奪っていたかも知れない棚を動かすと、棚の下から猫が一匹、這い出てきた。
 ……ずっと埋まっていたのか……
 可哀想に、最初に来た時に気付いてあげれば良かった。
 外傷等は無いようだが、酷く怯えている。猫にとってもよほど恐ろしい体験だったのだろう。
 そういえば帰宅してから何匹か姿を見掛けたけれど、他の猫達は無事だろうか……

 しかし改めて酷い。殆ど廃墟だ。
 この分だとマイ・ライフライン・パソコンも無理だろうと思ったが……棚という棚が倒れ物という物が散乱する中、デスクトップパソコンのハードディスクを乗せていたキャスター付きの棚は奇跡的に倒れていなかった。モニターにも外傷はなさそう。
 恐る恐る、いつも座っていた、こたつ机の上に散乱した物をかき分けてみた。
 ノートパソコンが姿を現す。電源を入れてみると、問題なく起動した。
 オンラインの友人達に無事を知らせておきたくてインターネットを試すが、繋がりにくい。
 携帯電話で試すと幸いなことに連絡用の掲示板に接続することが出来たので、書き込みだけしておいた。

 ひとまず買い置きしていたペットボトルの水を掘り起こした。
 点眼中の目薬も掘り起こしたかったが、小さくて何処に埋まっているのか見当もつかなかったので諦める。
 ノートパソコンも掘り起こして避難している小屋へと移動した。
 もう一度携帯でインターネット接続を試すが、今度は繋がらない。
 メールも返信したかったが、何度か試しても送信できなかった。



 さて、奇跡的にノートパソコンが無事だったので。
 何となく、今日から日々の日記的なものを綴ってみることにする。
 それに何の意味があるのかは判らないけれど。
 いち被災者としての目線での、ささやかな記録として。

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