母屋はいつ崩れるか判らず危険なため、狭い作業小屋の中へ、わたし、母、妹、祖母の4人で避難して夜を明かす。
ぼんやりとニュースを見ながら眠れずにいるうちに、日付が変わった。
改めて、被害の大きさを思い知らされる。
母は疲労の所為で、妹は神経がず太い所為でぐっすりと眠っていた。
祖母は不安で眠れないようで、テレビを見ながら独り言のような後ろ向きな言葉をずっと呟いている。
気が滅入りそうだったけれど、こうして全員無事でいられるだけましなのだ。
その呟きが聞こえなくなった頃、大きな振動を感じた。
何度も大きめの余震はあったためその一部かと思ったが、少しして、長野で震度6強と報道される。
同じ震度を体験し、それによる被害を目の当たりにしたばかりだっただけに、ぞっとした。
新潟方面の人の安否確認をしたかったが、携帯電話は相変わらずインターネット接続が出来ない。掲示板で安否を問うこともできない……どうしようもない。
じっとテレビからの情報を待つことしかできなかった。
そうこうしているうちに少しだけうとうとしていたらしく、外が明るくなっていた。1時間くらいは眠れたのだろうか。
二度寝する気にはなれなかったので、起きて動き出せるよう支度をした。
父は相変わらず外回りに駆り出されたままで、足の悪い祖母も居る。母も先日転倒して足腰を痛めたばかりで、通勤経路の道路も陥没して危険。一応通れる道路も渋滞、家もいつ崩れるか不明……近隣は皆似たような状況なのかも知れないが。
特別家で何も無かった者は出勤しろと言われていたが、とてもではないが出勤する気にはなれなかったので、ひとまず会社へ連絡を入れることにする。
携帯電話は殆ど通じなかったが、幸い家の回線は無事なようだった。
……指定の時間直前だというのに、誰も出ない。
時間には煩い会社で、5分前に誰も来ていないということはあり得ないのだが……何かあったのだろうか。こんな状況なので何が起きても不思議ではないが。
しかし行くにしてもどれだけ時間が掛かるか不明であるし、携帯もあてにならないため一度出ると長時間連絡が取れなくなってしまうのだ。また後ほど連絡を入れることにして、家の片付けに少しずつ取り掛かった。
少しすると、会社側から連絡が入る。
上司に事情を説明して、何とか休むことを許可して貰った。当然のことだとは思うが、全員出勤している訳ではないらしい。
家の片付けをしていると、午前中だけでも色々な人の出入りがあった。
近所の家の主婦が来た。
断水しているので、井戸水を分けて欲しいとのこと。
母はふたつ返事で了承し、近所の主婦はありったけの入れ物に井戸水を汲んで行った。
父の姉夫婦が様子を見に来た。
隣の市に住んでいるが、向こうも断水しているので水が欲しいとのこと。
また、新しく建てたばかりの家に住んでいるのでこちらよりはだいぶ損壊が少なく、しばらく祖母の居所を姉夫婦宅へ移してはどうかとの相談だった。
確かに足の不自由で冷え性な祖母に狭苦しい小屋での生活を強いるのは心苦しいため、こちらとしてもありがたい申し出ではある。祖母は住みなれた場所を離れることを渋ったが、最終的には落ち着くまで姉夫婦宅へ移って貰うことになった。
来たついでにと、祖母の部屋の片付けも手伝ってくれる。ありがたいことに、祖母の部屋は比較的短時間でおおよそ片付いた。
帰りがけ、水を汲んでいく。
が、とても飲料水には出来ないほど、濁っていた。
先ほどまでは澄んだ水が出ていた筈だが……恐らく一気に出しすぎた所為だろうと思う。
それもタイミングの問題。文句を言っても仕方が無い。
何とかして使うとのことで、姉夫婦は濁った水を幾らか汲んでいった。
……断水は深刻だ。
入れ違いで、父の妹夫婦が様子を見にきた。
妹夫婦の家も酷い状態のようだが、こちらほどでは無いとのことなのでほっとする。
食糧の心配をしてくれたようで、食パンを1袋とペットボトルの水を幾らか置いていってくれた。飲料水が怪しくなってきたところだったので、ありがたい。
農協の関係者が来た。
わたしの実家は果樹園で、今の季節は苺を出荷している。
様子見がてら、こんな時だが出荷の時間に関しての連絡だった。
道路状況も悪いというのに一日一回集荷には来てくれるらしく、稼働するとのこと。何とも逞しいことだ。
少し、休憩を入れる。
電話が繋がったので、パソコンの方でインターネット接続が出来るか試してみたかった。
雑然としたままの自部屋へ行き、デスクトップパソコンの方へ電源を入れる。問題無く起動し、インターネットへ接続することも出来た。
少し、地震に関する情報を仕入れ、オンライン関係の皆の安否を調べ始める。しかし、途中で接続が切れてしまった。
電話も試すが、どこにも繋がらない。
どうやら再び断線してしまったようなので、諦めて片付けを再開した。
昼前。
急きょ決まった、母の苺の出荷に付き添う。
道路はあちらこちらで地割れ、陥没、隆起を起こし、通行不可能な場所もあって、まるで迷路のようだった。
いつもの出荷場へ行くのにすら、通れる道を求めてぐるぐると随分色々な道を彷徨う。
出荷場では、今回の災害についての話題で持ちきりだった。
会話に混ざる母の横でぼんやりと人々の話を聞いていたが……全体的に、ぴりぴりしている。口から出るのは不平不満、責任転嫁が殆ど。災害に責任の所在などありはしないのに。どうもこういう雰囲気は苦手だ。
気分が悪くなってきたので母に早く帰るよう促す。
帰り道は、自動販売機を注意深く見ながら帰った。
何度か止まって購入しようとするが、どこの販売機も水が売り切れている。
仕方が無いのでお茶やスポーツドリンク系を幾らか購入した。
また、近所のコンビニが開いていたので寄ることにする。こちらも既に水は無く、お弁当や総菜類は既に殆ど売り切れていた。
レトルト食品、カップ麺、飲み物を幾らか購入して帰宅する。
遅めの昼食をとった後は、急ピッチで片付けの続きに取り掛かった。
頑張ったお陰で、何とか茶の間とキッチンは形になる。
瓦礫の山のような食器と雪崩が起きた押入れの片付けが大変と言えば大変だった。
普段使いの食器が殆ど無くなってしまったので、余震等が落ちついたら押入れから発見した綺麗な食器類を出そうと思う。ひとつ、楽しみが出来た。
少し経った頃。近所に住む、祖父の弟が来る。
水と、何か食べるものがあれば分けて欲しいという。どこも逼迫しているようだ。
水は濁っていることを了承してもらい、食べ物は、午前中に父の妹夫婦から頂いたパンと、苺を譲った。
祖父の弟から、近くのホームセンター兼スーパーで買い物が出来るらしいという情報を得たので、買い物に出掛けることにする。
行ってみると、屋内は危険で入れないとのことで、外に商品が陳列されていた。店舗の中を覗き見ると、天井の壁がはがれ落ちているようなところが幾つもある。確かに危険な状態のようだった。
食品は殆ど無い。
あってもお菓子か冷凍食品、缶詰、普段は絶対に買わないようなあやしげな漬物くらい。
カセットコンロ用のガスボンベが欲しかったが、既に売り切れだった。
ここではウーロン茶を1箱、冷凍食品、缶詰を幾らか購入する。
早めに来店しないと駄目なようだ。
夕方、父が一度帰宅。
どこも似たような酷い状況だという。
また、ガソリンスタンドが緊急車両以外の車輌への給油を制限し始めたとのこと。緊急時なので、それも仕方が無い。
昨日は姿の見えなかった猫も、夜になる前には姿を確認することが出来た。
これで猫も全員の無事を確認。一安心する。
よく逃げずに家の周辺に残っていたものだと思う。
夜は、変わらず狭い小屋の中でニュースを見ながら過ごした。
各地で明らかになっていく被害。その大きさ。
尋常ではない事態なのだと改めて認識していった。
特に、津波の被害、原発の件は気にせざるを得ない。被ばくの可能性があるという方々は大丈夫なのだろうか……