早かったような、そうでもないような。
ぼんやりと、ぼんやりと。この1年何をしていたかなと、思い起こす。
わたしは福島県でも中部に住んでいるので、凄惨だった津波の被害も無く。
けれども自宅も倒壊の危機、ライフラインの長期間停止、物流の停滞、風評的な被害など、考えてみればそこそこ酷い状況には置かれていたのだと思います。
それでも職も失わずに済んでいますし、家族も欠けることなく。
幸いなことです。
けれども実家が果樹園なので、風評的な被害は特に考えさせられることが多かった。
検査をしてから出荷しているので安全性はある筈なのに、毎年食べてくださっていた人の中に、「それ、食べれるんですか」などということを言ってくるような人もいました。
それもひとつの真実の声なのでしょう。
生きていくうえで己の安全を確保しようとするのは、本能的な行為なのだと理解もできます。
生存本能なのだから、生産者側がどうこう言っても仕方のないことですよね。
けれど、言われた方はかなりがっくりと来ます。
時には自殺者まで出してしまうくらい、生産のために歳月をかけてきた人たちにとっては、それらの声は心を抉るのだということだけは理解して欲しい。生産者達は、生存に関わる問題に直面しているのだということを理解して欲しい。
言葉は人を殺すのです。
そんなことを、何度も何度も考えました。
勿論、変わらずに注文のお手紙をくださったり、安全性を理解したうえで積極的に購入してくださる人も数多く、そんな人たちには救われてきました。
それ以外にも沢山の救いがありました。
遠く遠くに居るのに、心配して声を掛けてくださったり。
支援を申し出てくださったり。
メールをくださったり。
協力し合うことを実践してくださったり。
ネガティブな思考に陥っても、沢山の救いのおかげで、何度も何度も浮上することが出来たのだと実感しています。
崩壊していた愛用の道路も、ようやく数日前に修繕されました。
雨漏りし放題だった屋根の修理も、ようやく終わりました。
こんな状況でも、会社は新設工事を行いました。
妹は少し遅れながらも無事に入学式を迎え、高校一年生を謳歌しました。
弟も就職が決まりました。
こんな風に、良いことも沢山、沢山あったのです。
PR