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本家サイト「Queen of the Night」の更新情報や日々の戯言・ゲームプレイ記などを連ねる闇鍋的な場所です。
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2024/11/29 (Fri)
「顔を洗おうとして痛いと思ったらめがねをかけたままだった」
「温泉に行ってシャワーを浴びて、なんか視界に水滴が映ると思ったらめがねをかけたままだった」

 以上、被災後にすら発揮された非常に和む友人のエピソード。
 わたしは彼女が稀代の天然だと信じて疑わない。



 今日は退社する頃から雪が降った。少し湿気の高い、雨交じりの雪だ。
 傘を持ち忘たので、少しだけ浴びてしまった。けれど、わたしの毛根は不滅だと信じている。きっと大丈夫……うん、きっと。

 相変わらず明るくない話題ばかりが続く。

 農作物の出荷関連状況。
 今の時期、実家では苺の出荷がメインだが、もはや1パック平均300~400円の売値だったものが、170円程度まで落ちているそうだ。そしてそれだけ、集荷時の引取値も落ちているということ。
 きゅうりなども出始めたが、この時期だと10kg3000円程度が引取値の相場らしいが、現在なんと500円……
 まさかのワンコイン。
 ハウス栽培の農作物ですらこの有様だ。
 明らかに、収穫までに掛けた費用や労力に見合っていない。それでも引き取って貰えるだけましなので出荷はするのだというが。
 それも、明日までは集荷に来てくれるが、その後の見通しとしてどうなるか判らないのだそうだ。
 水源が決壊した影響で、今年は田んぼもまともに作れない。
 食べていけるのかどうかすら危うい状況。
 出荷自粛措置などで被害を受けた農家の支援を徹底したいという発表があったようだが、本当に、全ての苦しむ農家へ手を差し伸べてくれるのだろうか。
 国が指定した物以外でも苦しんでいる人は沢山いる。その人たちの声は聞こえているのだろうか。その人たちに差し伸べられる手はあるのだろうか。
 この先も永く根差したこの故郷で、ささやかな実りを喜びながら暮らしていくことが出来るのだろうか。
 風評の被害の広がりようは、それがそのまま、受けた者たちの苦しみの大きさを現していると言っても過言では無いように思える。

 死者も1万人を超えたが、全容は明らかにならない。きっとまだまだ増えるのだろう。
 特に津波被害のあった土地は、侵食する水の所為で捜索も進んでいないとのこと。福島県沿岸も、避難指示の影響で捜索すら出来ていない。きっと沢山の亡骸が、今も見つけてくれるのを静かに待っている。
 そういう人たちにも、早く安らかな寝所が与えられることを願うばかりだ。
 こればかりは、現地で事態収拾の為に奔走している人達の成果を待つしかない。
 本当に、何度も思うが……願うだけで何も出来ないのが悔しい。

 明日は土曜だが仕事。こんな時によくやると思うが、復旧してきた取引先もあるので、行きたくないとも言っていられない。
 それが自分のやるべきことなのかどうかは判らないが、今はやれることをやるしかないのだろう。


 本日までの、わたしの地元の水道復旧率は85%。
 わたしの家は未だ断水状態だが、同じ地元の友人の家では水道が出るようになったとのことだ。但し、地元全域の水道管内の漏水が酷いため、水の威力は弱いようだが。
 日中のある程度の水量を確保するため、復旧が進んでいるとはいえ地元全域、夜9時から早朝までは断水が行われている。計画停電ならぬ計画断水だ。
 そんな感じで上水道はぼちぼち進んでいるようだが、下水の方は未だ芳しくない模様。
 とりあえず上水道。頑張れ、水道修理の人っ!!
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 22日、23日は、殆ど仕事→睡眠のみの繰り返し。
 取引先が稼動し始めたこともあり、なかなかの激務だった。正直何をしていたのかはっきりと覚えていない。タイピングのしすぎで腕が筋肉痛になった。
 そんな訳で、乗り合わせで出勤していたのだが帰宅時間が一緒の人達と合わなくなってしまったため、今日から落ち着くまでは単独で出勤させて貰うことになった。
 久し振りのフリーダム。
 出勤前にコンビニにだって寄れてしまう。
 最後に来た時は面白いほどに閑散としていた陳列棚だが、今日は色々なものが並んでいた。随分と物流が回復してきたのだろうか。しかしたばこは売り切れだった。たばこの棚が空という光景もなかなか見れるものではない。
 スイーツ系は無かったが、お菓子類、お弁当などが並んでいた。
 朝食を食べ損ねていたので、パンと温かいお茶を購入。そんなことがこんなに幸せだっただろうか。

 仕事の方は、断水は続くがとりあえず今週は生産可能とのことだが、新たな問題が浮上してきた。
 農作物や生乳などの出荷規制は大きな問題となっているが、食品ではない勤務先の会社の製品まで、放射性物質の測定をしてから納品出来ないのかという話が出ているらしい。
 もしかしたら荷受け拒否されるかも知れないと……何ともやるせない話だ。
 運送会社系の出荷規制区域にもばっちり入っているため、仕入れ商品の仕入れも困難。
 会社だけが創業を続けられたとしても、それでは何の意味も無い。
 風評被害の波紋が大きく広がりすぎて、笑えないが笑うしかない。
 安全だから店頭に並んでいる筈の商品だって、福島県産だからという理由だけで避けられるのが現実。実際、スーパーで福島県産のキャベツを手に取って「いやだわ、福島県産じゃないの!」などという会話をしている奥方様方の様子を、某都へ住む弟の友人が目撃しているそうだ。
 ニュースで幾ら安全性を訴えたところで、実際の消費者にはそういう考えの方々が多いのが現実。
 わたしの実家の作物だって、出荷したところで売れるかどうか判らない。

 事態が収まれば、いずれは消えるだろう。
 けれど、一度植えつけられた不安や恐怖はそう簡単に消えはしない。
 一体何年待てばいいのだろうか。気が遠くなる。
 福島県だけではない、規制が掛けられた都道府県の農家全てに言えることだろうけれど。

 ……どうも、暗い話になりがちだ。


 本日までの、わたしの住む町の水道復旧率は70%。
 わたしの家はまだ断水状態。
 もうちょっとだ、頑張れ水道修理の人!!

 県内の、屋内退避指示圏内の病院各所などに、患者の移送などの手が差し伸べられたなどという情報が公開されてきている。
 後手後手な対応が目立つ中、個人だろうと何だろうと動いてくれる人は動いてくれる。
 とても温かく、ありがたい話だと思った。

 明日からまた仕事に行かなければならないので、今日は休息の日とすることにした。
 朝は苺の収穫を手伝ったが、それ以降はのんびりと過ごす。
 雨が降っていた。
 この雨を一日中浴びていたら使用済み核燃料保存プールで泳げるようになるだろうか……なんて、どうでも良い冗談を考えながら。
 ようやく、何もなければインターネット接続も落ち着いて出来る環境になったので、今まで書きためた被災後の記録も、一挙公開してみた。
 時系列が判りやすいようにわざと過去の日付で公開したが、3月11日から20日までの被災地の記録はすべて今日公開したものだ。今後は、リアルタイムな日付で公開していこうと思う。
 酷い地域に比べればわたしはまだまだましな方だけれど、被災地に関する報道は宮城や岩手が目立ち、福島は原発の状態の話ばかりが際立っているな、と。あるにはあるが、大衆の目に留まるほどでは無いんじゃないのかな、と。
 そんな風に感じたので、それによって県民に何が起きているのか、不十分ではあるけれど、いち被災者の声として少しでも伝えられたらと思っている。

 今日、友人からこんな話を聞いた。
 友人の会社関係の人間が、東京へ向かい、警察の方とお話する機会があったという。
 その際に話の中で、「福島は被災地じゃないだろう」という内容の言葉を言われたのだそうだ。
 その警察の方がどういう情報を掴み、どういう状況でその言葉を言ったのかは知らないが……正直、言葉も無い。
 結局何を言おうとも、わたし達の声なんて届かないのかなと。
 そんな風にさえ思わされて、がっかりした。
 だからこそ、小さかろうと局地に比べれば被害が少なかろうと、わたしが見聞きしたこと、感じたことを記録に残したいと強く思ったのだ。

 昨日の記事や上で挙げたとおり、無関心だったり心無い対応だったりすることもある。
 一方で、福島県浜通りから避難してきた人々を無償で受け入れてくれた旅館があるなど、温かい対応をしてくれる人々も確かにある。

 今日は随分、福島県内の被災者を映した報道を目にしたが、それはもしかしたら県内だからなのかも知れない。
 県外で、こちらの被災地の報道がどの程度なされているのか。
 関心を持ち、その声にも少し耳を傾けて欲しいな、なんて。
 そんな風に思った。

 久し振りに過ごす自分の部屋で、泥のように眠ったらしい。
 意識を失うように眠って、気付いたら朝を迎えていた。
 早朝は苺の収穫を手伝った。

 朝食後、父の姉夫婦の元へ行った祖母から電話が掛かってきた。
 こちらへ帰って来たいのだという。
 しかし、こちらはまだ断水が続き、先日補給して貰ったとはいえ灯油も無い。寒さが我慢できず一日中ファンヒーターを使い、毎日風呂に入らないと気が収まらない祖母には辛い環境だ。
 その点、父の姉夫婦の家はオール電化で水道も復旧したため風呂にも入れる。
 姉夫婦は大丈夫だと言うことなので、申し訳ないが祖母には水道が復旧するまで諦めてもらった。
 早く元の生活に戻りたいのだろう。それはわたしも一緒だが、まだまだ難しい。

 午前中は、母と共に食糧調達へ向かった。
 まずはホームセンター兼スーパーへ。
 先週行った時は店舗内へは入れなかったが、今日は入ることができた。ただ、入店規制が掛かっていて入るまでに20分ほど待たされたが。そうでもしないと混雑しすぎてレジなども対応しきれないのだろう。仕方が無い。
 店内は、天井のあちらこちらが剥がれたり壁が崩れたりしていた。それでも営業しようとしてくれる精神は凄いと思う。
 トイレットペーパーなどの生活必需品は品切れ状態だったが、生鮮食品を少し買うことが出来た。
 猫のドライフードも買えたが、わたしが購入したもので普通の成人猫用のものは最後だった。高級なものかシニア用はまだ少し残っていたようだが。
 もう一軒、スーパーへ立ち寄った。
 そちらも入店規制が掛かっていて、入るまでに少し時間が掛かる。
 今日は、ベーカリーコーナーで焼きたての食パンを買うことが出来た。ちょうど焼き上がる時間だったらしい。何とも幸せな匂いだ。

 今日は瓦の片付けと、半端になっていたシートの張り直しをすることになった。
 ぼろぼろになってしまった屋根の上に登る。
 怪我の状態が良くなってきた父も一緒に作業をしたが、いつまた落ちるのではと冷や冷やものだった。結局、落ちはしなかったので良かったが。
 それにしても天気が良く、日光浴日和だった。
 屋根の上に寝転がってみると、そのまま眠ってしまいそうなほどに気持ちが良い。
 午前中は殆ど屋根の上の片付けと補修に費やした。

 昼食後、ドラマが放送されていた。母の大好きな科〇研の女。
 震災後にそれ関連の報道番組以外のものが放送されているのは初めて見た。母が喜んで食い入るように見ていた。

 ドラマが終わる頃、母の友人が来た。
 頻繁に家に来ていた人だったが、被災後に会うのは初めてだ。
 レトルト食品を幾らか分けてくれた。ありがたい。
 こんな時に何だが……飲み屋をやっているのに料理が壊滅的に不味いという天然記念物的な人なので、手料理とかでなくて良かったと思う。本当に。

 午後からは、部屋の片付けの続きをした。
 家具の配置をあらかた終え、ようやく脳内の欲望を激しく投影した空間を、わたしは作り上げたのだ。
 ロフトベッドとこたつが融合した夢の空間をっ!!
 例え何かの拍子に眠くなっても、オンラインゲーム中に寝てしまっても、わたしはきちんとベッドで寝ていることになるのだ。
 これで誰にも文句は言わせない。ふふふ……

 夜、わたしの地区は水道管ばかりでなく下水管も酷くやられているので、水の復旧には時間がかかるという話を聞いた。
 井戸水とて無限ではないので不安が降りたが、悲観しても仕方が無い。
 また、その水不足の影響と機材がやられていることから、今年は田んぼが作れないかもしれない、という話もあった。
 わたしの実家は農家で主に果樹を栽培しているが、食べる分と少し売る分の米も作っている。
 作れなくなったからと言って潰れそうな農協から援助があるとも思えない。
 農家に死ねということか、という母の発言が心に残った。

 寝る前、顔を中心に肌がぴりぴりと痛んだ。
 屋根の片付けのため長時間日光に当たったせいだ。そういえば紫外線に弱いことを失念していた。
 それにしても、まだ片付けが済んだとは言えないけれど、久し振りに過ごす自分の部屋は本当に落ち着く。
 ここも日常が戻ったとは言えないけれど、避難を余儀なくされている人にも早く以前の生活が戻るよう、祈る。

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