県内の、屋内退避指示圏内の病院各所などに、患者の移送などの手が差し伸べられたなどという情報が公開されてきている。
後手後手な対応が目立つ中、個人だろうと何だろうと動いてくれる人は動いてくれる。
とても温かく、ありがたい話だと思った。
明日からまた仕事に行かなければならないので、今日は休息の日とすることにした。
朝は苺の収穫を手伝ったが、それ以降はのんびりと過ごす。
雨が降っていた。
この雨を一日中浴びていたら使用済み核燃料保存プールで泳げるようになるだろうか……なんて、どうでも良い冗談を考えながら。
ようやく、何もなければインターネット接続も落ち着いて出来る環境になったので、今まで書きためた被災後の記録も、一挙公開してみた。
時系列が判りやすいようにわざと過去の日付で公開したが、3月11日から20日までの被災地の記録はすべて今日公開したものだ。今後は、リアルタイムな日付で公開していこうと思う。
酷い地域に比べればわたしはまだまだましな方だけれど、被災地に関する報道は宮城や岩手が目立ち、福島は原発の状態の話ばかりが際立っているな、と。あるにはあるが、大衆の目に留まるほどでは無いんじゃないのかな、と。
そんな風に感じたので、それによって県民に何が起きているのか、不十分ではあるけれど、いち被災者の声として少しでも伝えられたらと思っている。
今日、友人からこんな話を聞いた。
友人の会社関係の人間が、東京へ向かい、警察の方とお話する機会があったという。
その際に話の中で、「福島は被災地じゃないだろう」という内容の言葉を言われたのだそうだ。
その警察の方がどういう情報を掴み、どういう状況でその言葉を言ったのかは知らないが……正直、言葉も無い。
結局何を言おうとも、わたし達の声なんて届かないのかなと。
そんな風にさえ思わされて、がっかりした。
だからこそ、小さかろうと局地に比べれば被害が少なかろうと、わたしが見聞きしたこと、感じたことを記録に残したいと強く思ったのだ。
昨日の記事や上で挙げたとおり、無関心だったり心無い対応だったりすることもある。
一方で、福島県浜通りから避難してきた人々を無償で受け入れてくれた旅館があるなど、温かい対応をしてくれる人々も確かにある。
今日は随分、福島県内の被災者を映した報道を目にしたが、それはもしかしたら県内だからなのかも知れない。
県外で、こちらの被災地の報道がどの程度なされているのか。
関心を持ち、その声にも少し耳を傾けて欲しいな、なんて。
そんな風に思った。
久し振りに過ごす自分の部屋で、泥のように眠ったらしい。
意識を失うように眠って、気付いたら朝を迎えていた。
早朝は苺の収穫を手伝った。
朝食後、父の姉夫婦の元へ行った祖母から電話が掛かってきた。
こちらへ帰って来たいのだという。
しかし、こちらはまだ断水が続き、先日補給して貰ったとはいえ灯油も無い。寒さが我慢できず一日中ファンヒーターを使い、毎日風呂に入らないと気が収まらない祖母には辛い環境だ。
その点、父の姉夫婦の家はオール電化で水道も復旧したため風呂にも入れる。
姉夫婦は大丈夫だと言うことなので、申し訳ないが祖母には水道が復旧するまで諦めてもらった。
早く元の生活に戻りたいのだろう。それはわたしも一緒だが、まだまだ難しい。
午前中は、母と共に食糧調達へ向かった。
まずはホームセンター兼スーパーへ。
先週行った時は店舗内へは入れなかったが、今日は入ることができた。ただ、入店規制が掛かっていて入るまでに20分ほど待たされたが。そうでもしないと混雑しすぎてレジなども対応しきれないのだろう。仕方が無い。
店内は、天井のあちらこちらが剥がれたり壁が崩れたりしていた。それでも営業しようとしてくれる精神は凄いと思う。
トイレットペーパーなどの生活必需品は品切れ状態だったが、生鮮食品を少し買うことが出来た。
猫のドライフードも買えたが、わたしが購入したもので普通の成人猫用のものは最後だった。高級なものかシニア用はまだ少し残っていたようだが。
もう一軒、スーパーへ立ち寄った。
そちらも入店規制が掛かっていて、入るまでに少し時間が掛かる。
今日は、ベーカリーコーナーで焼きたての食パンを買うことが出来た。ちょうど焼き上がる時間だったらしい。何とも幸せな匂いだ。
今日は瓦の片付けと、半端になっていたシートの張り直しをすることになった。
ぼろぼろになってしまった屋根の上に登る。
怪我の状態が良くなってきた父も一緒に作業をしたが、いつまた落ちるのではと冷や冷やものだった。結局、落ちはしなかったので良かったが。
それにしても天気が良く、日光浴日和だった。
屋根の上に寝転がってみると、そのまま眠ってしまいそうなほどに気持ちが良い。
午前中は殆ど屋根の上の片付けと補修に費やした。
昼食後、ドラマが放送されていた。母の大好きな科〇研の女。
震災後にそれ関連の報道番組以外のものが放送されているのは初めて見た。母が喜んで食い入るように見ていた。
ドラマが終わる頃、母の友人が来た。
頻繁に家に来ていた人だったが、被災後に会うのは初めてだ。
レトルト食品を幾らか分けてくれた。ありがたい。
こんな時に何だが……飲み屋をやっているのに料理が壊滅的に不味いという天然記念物的な人なので、手料理とかでなくて良かったと思う。本当に。
午後からは、部屋の片付けの続きをした。
家具の配置をあらかた終え、ようやく脳内の欲望を激しく投影した空間を、わたしは作り上げたのだ。
ロフトベッドとこたつが融合した夢の空間をっ!!
例え何かの拍子に眠くなっても、オンラインゲーム中に寝てしまっても、わたしはきちんとベッドで寝ていることになるのだ。
これで誰にも文句は言わせない。ふふふ……
夜、わたしの地区は水道管ばかりでなく下水管も酷くやられているので、水の復旧には時間がかかるという話を聞いた。
井戸水とて無限ではないので不安が降りたが、悲観しても仕方が無い。
また、その水不足の影響と機材がやられていることから、今年は田んぼが作れないかもしれない、という話もあった。
わたしの実家は農家で主に果樹を栽培しているが、食べる分と少し売る分の米も作っている。
作れなくなったからと言って潰れそうな農協から援助があるとも思えない。
農家に死ねということか、という母の発言が心に残った。
寝る前、顔を中心に肌がぴりぴりと痛んだ。
屋根の片付けのため長時間日光に当たったせいだ。そういえば紫外線に弱いことを失念していた。
それにしても、まだ片付けが済んだとは言えないけれど、久し振りに過ごす自分の部屋は本当に落ち着く。
ここも日常が戻ったとは言えないけれど、避難を余儀なくされている人にも早く以前の生活が戻るよう、祈る。