早朝、コンビニへ行くことにする。
近くなので、歩いていくことにした。気持ちの良い冷気が寝起きの肌に染みる。
いつも通っていた道路は書いたとおり地割れし陥没していたが、歩きの人々は割と潜入禁止を無視して通行していた。わたしも無視してその場所を通る。
コンビニへ着くが、面白いほどに食品類の棚は閑散としていた。
顔なじみの店主の奥さんが、何もないでしょ、と、悲しげな顔で言う。
幸い冷凍食品はあったので、ひとり2点までだが購入しておいた。お菓子も殆ど無かったが、あったものを、妹の分も含めて少しだけ買う。
帰宅後は、ようやく綺麗になってきた井戸水で洗濯をし、部屋の掃除に取り掛かった。
床を埋め尽くしていた物をとりあえず片付け、ひと段落させる。
その後、開いているという話のスーパーへ出かけた。
駐車場なども所々が割れていて危険なところもあったが、平日の昼間でも買い物客で賑わっている。ひとり20点までという制限付きで、買い物をすることが出来た。
豆腐が欲しかったが、普段は絶対に買わないような高級品くらいしか置いていない。
猫のドライフードもできれば買いたかったが、ドライフードは高級なものが僅かに残っているだけだったので、缶詰の方にした。
ベーカリーコーナーの前には焼き上がり待ちの人が並んでいる。
生鮮食品は売っていない。
品ぞろえは悪いが、買い物が出来るだけましだ。
帰宅した頃、会社から電話が掛かってきた。
わたしの担当している取引相手が明日から創業するので、明日出勤してくれとのお達し。
仕方がない、と、思うしかない。
今日も乗り合わせ出勤だが、ガソリンも不足しているというのに毎朝迎えにきて貰うというのも何とも気が引けるものだ。
それに、父が怪我をしたせいで家の方の仕事を一人でやらなければならない母が気がかりでもある。妹が春休みで家に居るので、大丈夫だとは思うが……
相変わらず連絡の取り合いや納期の調整などであっという間に時間は過ぎていった。
未だに連絡の取れない取引先もある。無事で居てくれれば良いのだけれど。
明日は、製造の機械を止めて一部職員以外は休みにするという。
その後のことは連休明けに予定を立てるのだそうだ。
今日、勤務中に近くのガソリンスタンドが開くという情報が入り、手の空いている者で燃料残の少ない職員の車のガソリンを入れに走るなどということがあった。が、行ってみると長蛇の列で、何時間か待って2000円までしか入れられなかったのだという。
軽油のスタンドも開いたので配送の者達も入れに走ったそうだが、1台10lまでしか入れて貰えなかったそうだ。とてもではないが、足りもしない。
それでも入れられただけましなのだろうけれど。
スタンドが開いた時点で、燃料を確保できるようになる、営業継続できる、などという楽観的な意見を言う者も居たが、しばらくはこんな状態が続くのだろう。
また、こんな話もあった。
福島県、というだけで出荷規制が掛かるのだそうだ。
要するに、材料等を仕入れたくても仕入れが出来ない。こちらへ来ることを拒否するドライバーも居るそうだ。
それだけ、目に見えない放射性物質というものが恐ろしいのだろう。
それも当然だとは思う。なにせ未曾有の災害なのだ。
あらゆるものが未知数で、恐ろしい。
こうなったら本当に独立国家フクシマを建国するしかないか……
その暁には、まず手始めにあの顔のホクロを引きちぎってやる。誰のとは言わないが。
……まあ、冗談はさておき。
わたしも明日は休めることになった。買い物や片付けなどを進めなければ。
帰りがけ、本社からの支援物資を貰った。
今日は水と納豆だった。
今日も乗り合わせで出勤する。
業務は、だいぶ混乱が落ちついてきたようには思うが、日増しに様々な物資の不足が目立ってきた。
材料もそうだが、製造の機械を動かすにはまず重油と水が要る。
配達をするにもトラック用の軽油が要る。
断水が続くうえ燃料関係も入手困難。近々創業できなくなることは明らかだ。
製造は、回数を制限しながら行う調整をすることになった。
配達もなるべく同じ方面をまとめて、回数も少なく行うように。それでも、今週いっぱい分くらいしか軽油が持たないとの見通しだった。
帰宅時、本社から届けられたという物資が社員へ配布される。
パンが1個ずつ。
とてもありがたかった。
帰宅すると、母が神妙な顔で言った。
父が、屋根から落ちたと。
今日は酷い風と共に雪が吹きつけていた。風によってずれてしまった屋根のシートを直そうとしたところ、風に煽られたのだという。
驚いたが、右半身の打撲や少しの傷だけで済んだようなので安心した。
落ちた後に自分で病院へ行ったくらいだという。何とも頑丈な人だ。
……それにしても。
笑いごとではないのだが、頭をすっぽりと覆うネットをかぶっている姿が何とも面白すぎる。
いや本当に、笑いごとではないのだが……
今日は、延期になっていた妹の高校受験の合格発表の日でもあった。本当は14日に行う予定だったのだ。
父は(屋根から)落ちたが、妹は合格したとのこと。
これで心配ごとがひとつだけ減った。
合格祝いにめがねを買ってあげる約束をしていたので、落ち着いたら買いにいかなくては。
睡眠は変わらず避難場所の小屋で取り、今日も出勤した。
昨日よりはだいぶ状況が把握できたとは思うが、今日も連絡やら入荷・出荷の調整やら在庫確認やらであっという間に時間が過ぎていく。
そんな慌ただしく過ごしていた、午前中。
本社(東京)の社長から、原発がまずいので避難した方が良いかも知れないとの連絡が入った。
職場は一時騒然となり、工場を閉めて自宅待機にするという話すら持ち上がる。
が、冷静に情報を仕入れていくうち、避難指示が半径20km、屋内退避が30kmとのことで、一応、その範囲からは逸れていた。よって、業務続行となる。
けれど、職員の中には不安で泣き出し、帰宅したいと訴える者もいた。
仕事なんかより、子供や家族を優先したいと。
当然のことだ。わたしだって、正直帰りたい。
常務取締役はそういう者を責めたりはせず、帰宅させてやった。業務は残った者達で続行となる。
ちなみに会社の位置は、原発から直線距離で60km未満。
同程度の距離の取引先では、自主的に自宅待機などになった会社も幾つもあった。
また、燃料の問題も浮上してくる。
明日から同じ方面の職員は乗り合わせで出勤することになった。
帰宅し、避難小屋へと顔を出すが誰も居ない。
母屋の電気が点いていたのでそちらへ行くと、小屋ではなく茶の間へ居所を移したとのことだった。
危険だろうと何だろうと、やはりいつもの場所の方が良いのだろう。
わたしも小屋から家へと荷物を移した。
夕飯は野菜の端材などを使って鍋にした。
こんな状況でも温かいものが食べられるだけ幸せだと思う。
また、母が給水所から水を汲んできてくれていたので、水を飲むことも出来た。
原発の避難範囲が広がったことを受けて、妹が、
「ア〇リカの救助用ヘリすら一時撤退させた我々は、これを機にジパングから独立してフクシマという国を建国し、原発の脅威を盾に世界を支配するのだー!!」
などと言っていた。
何とも平和なことで何よりだ。
しかしながら、いつどうなるか判らない厳しい状況なのは確か。
原発の現場で頑張っている人達がきっと何とかしてくれると信じてはいるが、不安は消えてくれない。
わたしは未だ片付けの続きに着手できていない自分の部屋から、LANケーブルを1本、茶の間へと引いた。
久し振りに、オンラインゲームへログインする。
要するに現実逃避だが、今のうちに皆の顔を見ておきたいと思ったのだ。オンラインゲームで顔を見るという表現もどうなのかとは思うが。
ログインすると、多くの仲間達が心配して声を掛けてくれた。
掲示板の方にも、近況報告の書き込みの後に心配して書き込んでくれる人も多くいた。
この声が、いつも沈みそうなぎりぎりの場所に居る気持ちを浮上させてくれる。
平日なのでログイン人数的にどうかと思っていたが、考えていたよりも多くの人と会話することが出来て嬉しかった。
が、会話している途中、静岡で大きな地震が発生する。
あちら方面の人もいたので心配だったが、何とか無事のようで安心した。
それにしても、また震度6……
どんどん被災範囲が広がっていく。
全国的に、皆、不安なことだろう。
現実逃避の時間はあっという間に過ぎていった。
また、余裕があればログインしたいと思う。
今日から平日。
会社から連絡は無かったが、一応、出勤してみることにした。
連絡が無いと言っても、昨日深夜まで電話回線が繋がらず、携帯電話は相変わらず通信がほとんど出来ない状態ではあったのだが。
いつもの道は使えないので、大きく回り道をして大きな道路へ出る。
地割れの場所や陥没して危険だった場所は、とりあえずの補修がされていた。
出勤すると、稼働しているようだった。
話を聞くと、日曜日も機械の修復作業が行われていたそうで、土曜のうちにわたしへもその旨連絡をしようとしてくれていたようだが、繋がらなくて断念したとのこと。
心配を掛けてしまったようで、申し訳なく思った。
仕事の方は、主に取引先の状態・安否確認に追われた。(ちなみにわたしはデザイナーと事務を兼務している)
西日本や関東圏の取引先は無事なところが多かったが、中には津波によって流されてしまった地域の取引先もある。
連絡が取れない、などという場所もざらだった。
また、連絡が取れてもしばらく稼働できないという場所も相当多い。
仕入れ先も相当やられていて材料の手配も難しく、地震で使い物にならなくなった在庫商品の把握等もかなり厳しかった。
職場も断水状態だったので、製造自体もいつまで出来るのか。
不安要素だらけだ。
というより、個人的にはこんな時に仕事している場合でも無いと思う。こんな状況で仕事が出来るだけ、ましなのかもしれないが。
……何とも逞しい会社だ。
もはや何をしていたのかなど詳しく思い出せないほど、あっという間に帰宅時間となった。
母から、会社帰りに何か飲み物を買ってきて欲しいとメールがあったが、スーパーは閉店してしまっていて購入することが出来ない。
幸いなことに、いつも利用しているコンビニが開店していたので寄ってみた。
けれど、品数も少なく、購入制限も掛かっている。
ペットボトルは500mlは2本までもしくは1l以上が1本まで。冷凍食品は2個まで。パンも2個まで。
おかず類、レトルト食品の棚は商品が並んでいない。水も無く、茶やスポーツドリンク類は少しだけ残っている。
飲み物はスポーツドリンクを購入。
パンも殆ど無かったが、買えるうちにと思って2個購入。
そして、気付く。
ドロリッチに抹茶味が出ていただと……
思わず購入した。
帰宅。
今日は、茶の間とキッチンが片付いたので、母屋の茶の間で食事をすることになった。
いつもの場所で食卓を囲んでいると、日常が戻ってきた気にさえなる。
けれど、室内を見渡すと、やはり爪痕が目立った。
日常が戻ったなどという事実は無い。ただの憧憬。
早く、“普通”が戻ってくれば良いのに。
そう思いながら、長引くだろうなという予感の方が強くあった。