早朝、目が覚める。
昨夜は身体を動かして疲れていた所為か、比較的良く眠ることが出来た。大き目の余震が来る度に、目を覚ましてはいたが。
会社のことが気になったが、相変わらず携帯は繋がらないし、家の電話も断線中で連絡がつかない。
ガソリンも緊急車両のみという話であるし、道路と燃料の残りの状況を見て、様子を見に行くのを止めた。
万が一休みであったら無駄足であるし、燃料的にも時間的にも洒落にならない。
それにまさか、こんな状況でかつカレンダー上は(昨日もだが)休みであるのに、稼働などしていまい。と、思い込んで。
ぼちぼち、昨日の片付けの続きを始めることにする。
まずは仏壇の置いてある部屋。
道具が幾らか壊れてしまったが、何とか綺麗に出来たと思う。外れてしまっていたご先祖様の遺影も元に戻した。一枚だけ、額がガラスごと砕けてしまった遺影があったが、落ち着かないと額を買いに行くことも出来まい。
次に、妹の部屋。
電子ピアノが置いてあるのだが、見事に妹がいつも寝ている場所へ倒れていた。
自分の部屋を見た時も思ったが、本当に、地震が深夜に起こらなくて良かったと思う。冗談のように甚大な被害を引き起こした今回の災害だけれど、万が一深夜に起こっていたとすれば、今報じられている被害どころの話では無かっただろうから。
給水車がそう遠くない場所に来るという情報を得た。
これで、飲み水は何とか確保できる……のかも知れないが、ひとりあたりの量に制限があるらしいので楽観視は出来ない。
母屋はいつ崩れるか判らず危険なため、狭い作業小屋の中へ、わたし、母、妹、祖母の4人で避難して夜を明かす。
ぼんやりとニュースを見ながら眠れずにいるうちに、日付が変わった。
改めて、被害の大きさを思い知らされる。
母は疲労の所為で、妹は神経がず太い所為でぐっすりと眠っていた。
祖母は不安で眠れないようで、テレビを見ながら独り言のような後ろ向きな言葉をずっと呟いている。
気が滅入りそうだったけれど、こうして全員無事でいられるだけましなのだ。
その呟きが聞こえなくなった頃、大きな振動を感じた。
何度も大きめの余震はあったためその一部かと思ったが、少しして、長野で震度6強と報道される。
同じ震度を体験し、それによる被害を目の当たりにしたばかりだっただけに、ぞっとした。
新潟方面の人の安否確認をしたかったが、携帯電話は相変わらずインターネット接続が出来ない。掲示板で安否を問うこともできない……どうしようもない。
じっとテレビからの情報を待つことしかできなかった。
そうこうしているうちに少しだけうとうとしていたらしく、外が明るくなっていた。1時間くらいは眠れたのだろうか。
二度寝する気にはなれなかったので、起きて動き出せるよう支度をした。
父は相変わらず外回りに駆り出されたままで、足の悪い祖母も居る。母も先日転倒して足腰を痛めたばかりで、通勤経路の道路も陥没して危険。一応通れる道路も渋滞、家もいつ崩れるか不明……近隣は皆似たような状況なのかも知れないが。
特別家で何も無かった者は出勤しろと言われていたが、とてもではないが出勤する気にはなれなかったので、ひとまず会社へ連絡を入れることにする。
携帯電話は殆ど通じなかったが、幸い家の回線は無事なようだった。
……指定の時間直前だというのに、誰も出ない。
時間には煩い会社で、5分前に誰も来ていないということはあり得ないのだが……何かあったのだろうか。こんな状況なので何が起きても不思議ではないが。
しかし行くにしてもどれだけ時間が掛かるか不明であるし、携帯もあてにならないため一度出ると長時間連絡が取れなくなってしまうのだ。また後ほど連絡を入れることにして、家の片付けに少しずつ取り掛かった。
少しすると、会社側から連絡が入る。
上司に事情を説明して、何とか休むことを許可して貰った。当然のことだとは思うが、全員出勤している訳ではないらしい。
午後2時46分、仕事中のこと。
体感できるほどの強い地震が起きる。
ここのところ震度2・3程度の地震は頻繁に起こっていたので、正直、職場の皆もすぐに収まるだろうと思っていたに違いない。
けれど、それはやけに長く、強い揺れだった。
判断が早かったのは常務取締役。
殆ど怒声となった彼の一喝と、会社の災害用のベルが鳴ったのはほぼ同時のことだ。動揺から覚醒した職員達は、一斉に外へと飛び出す。
直後、立っていることも困難な強い揺れが襲ってきた。
わたしを含め会社の目の前にある林へと避難した職員達は、手近な人や木につかまってやり過ごす。
視界の全てが揺れていた。
今にも倒れそうなほどに揺らぐ停車中のトラックや会社の建物には近付くことも出来ず、普段はひっそりとした小さく静かな池も、人の背丈ほどの波を作って襲ってくる。
植木のプランターも悉く倒れ、後から逃げてくる職員の中には、落下物で頭を負傷している者も居た。
揺れが収まっても、驚愕、恐怖、動揺に感情を塗りつぶされた職員達は、当然のことながらすぐに動き出すことなど出来はしない。
ようやく動き出せる程度には感情が回復して、ああ、災害が起きたんだと。
ぼんやりと理解した。
職員達も思考が回復してきて、役職の者達は情報収集と職場内の状況把握に動き出した。
わたしは事務所内への勤務なので、他の事務所職員達と一緒に事務所の様子を見に社内へ戻る。
酷い状況だった。
書類棚やパーテーション、机、パソコン、プリンターなど、あらゆるものが倒れ散乱している。
電話はエラーのランプが表示され、一部の回線以外は繋がらない状態だった。
途中、再び強い揺れがあり外へと避難する。流石に最初のように動揺して動けないという状況にはならなかった。
揺れが落ちつき事務所内へ再び戻る。
……今度は停電していた。当然、電話も繋がらない。水も出ないという。どうしようもない状況とはこのことか。
そうなってくると、気になり始めるのは親類や友人の安否だ。
その場に居たほとんどの職員が携帯電話を触り始めるが、何度試しても通話が出来ない状態。不安ばかりが募るが、メールが何件か来ていることに気が付いた。
友人が数名と、家族から。
とりあえず家族は全員無事のようだったので安心する。
全員に返信している余裕は無かったので、家族からの安否確認メールにだけ返信した。
しばらくすると、家の概況の写真付きで返信がくる。
携帯での撮影なので細かいところまでは判らなかったが……何とも凄惨な状態としか言いようがなかった。古い家屋なので心配はしていたが、写真だけでも屋根の瓦がだいぶはがれ落ちて地面へ散乱し、窓は枠ごと外れ落ちているのが判る。外見は何とか家の形を保ってはいるようだが……
そうこうしているうちに、情報収集へ出かけた者達が帰ってきた。
提携業者もどこも似たような酷い状況で、中には建物が倒壊したところもあるらしい。
社内や周辺の情報も少しずつ集まってきていた。
基本的に受注産業の会社だが、製造の為の機械は嫌な音を立て、設置位置もずれて稼働できる状態では無さそう。倉庫の方も出荷待ちだった商品が崩れ、とてもではないがまともに出荷出来ないとこのこと。
周辺は、道路は何か所も亀裂が入って通行できない場所もあり、電柱もまっすぐには立っていない。また、塀や屋根が崩れるばかりか、建物自体が倒壊している場所も幾つもあるようだった。
親族などと連絡が取れた職員の中には、自宅が崩れたという者も居る。
正直、会社がどうこうというより自宅の様子の方が気になった。
どうせ、会社に残っても回線が復旧しない限りは出来ることなど限られているのだから……
わたしと同じ気持ちの職員が殆どだったようで、会社の復旧を優先しようとしていた上役の者達も折れ、職員達は可能な者は翌日朝8時出勤とだけとりあえず決めて、帰宅出来ることになった。